今から約2500年前、中国で一人の軍師が登場する。 その名を孫武と言う。 彼の残した軍略書『孫子』はやがて長い歴史の中、世界中で愛読され読み継がれた。 ナポレオンは孫子を座右の書にし、武田信玄は風林火山と旗に掲げ、 近年ではペンタゴン(アメリカ国防総省)でも研究が行なわれるなど、数々な所で影響を与えている。 それほどまで伝え続けられる孫子の兵法とは・・・ |
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戦争は国にとって存亡にかかわる重大事である。 故に戦争をするならば慎重に細心に検討しなければならない。 |
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『道、天、地、将、法』、この五つの基本条件をよく理解してこそ戦いに勝つことが出来る。 『道』・・・君主と民衆の意思。これが同じであってこそ民衆はいかなる苦難も恐れずに君主と生死を共にしてくれる。 『天』・・・天候や季節、時期などの時間的なタイミングをよく計ること。 『地』・・・地理的な条件をよく調べること。 『将』・・・将には知謀、信義、仁愛、勇気、威厳を備えてなければならない。 『法』・・・法は軍の組織、規律、装備のことで、これをよく整えること。 この基本条件を理解してこそ勝利を手にする事ができ、理解できなければ勝つことは難しいだろう。 勝つ為の条件が満たされているか判断するには次の点を比較する。 君主はどちらが正しい理念を掲げているか? 将の能力はどちらが上か? 天の時(時間的タイミング)、地の利(地形的条件)はどちらが有利か? 法や命令はどちらが厳正に守られてるか? 兵はどちらが強いか? 訓練や経験はどちらが上か? 賞罰はどちらが厳正に行っているか? これを比較すれば結果は自ずと分かるだろう。 この条件が満たされてもいないのに戦えば必ず負け、条件が満たされてるならば勝つことができるだろう。 |
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戦術とは敵をいかにあざむくかである。 表と見せれば裏を返し、裏と思わせて表をつく。 戦術は偽りの道なり。 |
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出来るのに出来ないふりをし、 必要なものを不必要にみせかけ、 遠ざかるとみせかけて近づき、 近づくとみせかけて遠ざかり、 有利と思わせて誘い出し、 混乱させて撃破する。 敵が充実しているなら退いて体制を整え、 強い敵とは正面から戦わないようにし、 相手を怒らして乱し、 下手に出て相手を油断させ、 準備して強固に備える敵は疲れさせ、 結束していれば離間させる。 |
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敵の弱点をつき、その不意をつく。 これが兵法家の勝ち方であるが、状況に応じて対応するものであって、最初から決めてかかってはいけない。 |
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勝利の見通しがあるならば勝てるが、勝つ見込みが少なければ勝てない。 ましてこの事を考えようともしないものが勝てるわけがない。 このように見れば勝敗は戦う前から明らかであろう。 |
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戦いを挑むとなれば戦車千台、装甲車千台、兵十万人もの大軍を率い、 千里もの彼方に食料物資を送らなければならない。 更に内外の経費、賓客の接待、物資の補給等で日に千金もの大金を費やす。 戦いが長期化すれば兵は疲弊し、士気も衰える。 そんな状態で城を攻めれば失敗し、財政も危機に陥いる。 国力が疲弊すればその隙をついて諸侯が攻めて来るかもしれない。 こうなってからでは、どんな知恵者いたとしても、解決する事は不可能であろう。 故に、戦いを速やかに終わらせて利を得た例を見ても、長引かせて利を得た例を見ない。 長期戦の弊害を知らなければ、戦いによって利を得る事はできないだろう。 |
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戦上手は、兵を再び雇ったり、食料や物資を何度も送らせたりしない。 何故ならば敵から食料物資を奪い取るからだ。 故に兵の食料が足りなくなる事はない。 国が貧しくなるのは、食料、軍需、物資を戦争によって遠方まで送らなくてはならないからだ。 遠方に大量に運ぶことによって民の負担が増す。 国の財政が緊迫すれば税を重くする。 税が重くなれば民の生活が苦しくなる。 民が生活できなくなれば民が去ってゆく、やがては兵も雇えず、国力も無くなり国全体が貧しくなるだろう。 故に智将はこの事を善く心得ている為、食料物資を敵地で調達する。 敵地で調達した食料一鐘は自国の二十鐘分の価値があり、 敵地で調達する牛馬の飼料一石は、自国の二十石分の価値があるのだ。 |
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無闇に意味もなく敵を殺すものは敵の怒りをただ買うだけである。 捕虜になった敵は手厚くもてなし養い軍旗を変え自軍に取り込む。 手柄を立てたものは功績に見合った恩賞を必ず与える。 そうする事によって自軍の兵力は増し、兵の士気は盛んになる。 故に勝って益々強くなるのである。 |
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戦いは勝つことが目的であり、争う事が目的ではない。 故にこの事を善く知る者が、民の為に命を預かり指導し、国家の重責を担う資格があるのだ。 |
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兵法は敵を傷めずに屈服させる事こそが最良の勝ち方であり、敵を傷めつけて破るのは次善の策である。 これは国であろうと大隊であろうと小隊であろうと個々であろうといずれも同様だ。 |
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百回戦って百回勝ったとしても、それは決して善い戦い方ではない。 本当に善い戦い方は戦わずして勝つことである。 自軍に被害を出さない事が一番善い方法であり、 被害を出す戦い方は之に次ぐ。 |
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善い戦い方は敵の意図を討ち破る事である。 次に善い方法は敵の交流を絶ち孤立させる事である。 敵軍と戦って破るのは之に次ぐ戦い方。 一番の下策は力で攻める事である。 力攻めは已むを得ない時に行うべきである。 何故ならば、武器、道具の準備にも相当の時間を費やし 攻略の準備をするにも更に時間が必要だからだ。 もし将が不用意に攻めて兵の三分の一を失っても勝てなければ、 それによって逆に災いを招く事になるだろう。 故に善く戦う者は、敵を屈服させる事を用い、戦わずして敵城を攻略し、敵国を打ち破る。 こうした戦い方を用いれば兵は疲れることなく損失が少ない。 この用に戦う事が出来れば必ず天下を争う事ができるだろう。 之が戦略の妙味なり。 |
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※兵力に応じた戦い方を用いる 敵より十倍の兵力があれば敵軍を包囲する。 敵より五倍の兵力があれば敵軍を攻める。 敵の倍の兵力ならば敵を分断させて戦う。 互角の兵力であるならば全力を尽くして戦う。 敵の方が兵力が勝るなら速やかに退却する。 もし之を守らず、勝つ見込みも無いのに無理に戦おうとするならば必ず戦いに敗れる。 これこそ愚かな事だろう。 |
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将は国にとって重要である。 君主と将の関係が善い国は必ず強くなるだろう。 逆に君主と将の心が離れていれば、その国は必ず弱くなるだろう。 |
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自軍の災いとなる君主の行為に三つの例がある。 将は現場の実情を善く理解しているのに、 実情を善く知らない君主が将を信頼せず、 君主がもし、よけいな口出しをすれば危機を招く事になるだろう。 その三つの悪例をあげよう。 一、進むべきでない時に進軍を命じ、退却すべきでない時に退却を命じる。 之では君主が自ら足を引っ張る事と同じである。 二、実情や内情もわきまえず、不用意に口を挟み、現場に混乱を招く。 三、専門の将の意図を無視し、知らないにも関らず君主が干渉し、結果、内部に不信感を招く。 君主がもしこのような行為で内部に混乱や不信感を自ら招くならば、必ずそこを攻め込まれ敗戦の憂き目を見るだろう。 之を軍を乱して勝を引くと言う。 |
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勝利を収める事を知る為には五つの条件がある。 一、戦うべきか戦わないべきか善く知っている者は勝つ。(判断力) 二、兵力に応じた戦い方が出来る者は勝つ。(応用力) 三、上下関係で目標や意思を同じにできる者は勝つ。(統率力) 四、体勢を万全にして敵の不備につけこめる者は勝つ。(洞察力) 五、将が有能で君主が現場に口出ししない者は勝つ。(指導力) この五者は勝利の道を善く知る者なり。 |
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相手の事を良く知り、自分の事もよく知っていれば、何度戦っても危ない目にはならない。 逆に相手の事も良く知らずに、自分の事すらも知らない者は、何度戦っても勝利を収める事は難しいだろう。 |
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昔の善く戦いを知っている者は相手に勝たせないよう体勢を整えてから勝つ時を待った。 故に善く戦う者は、敵に不備がない時には敵に隙を作らず無理に戦わず善く守り、 敵に隙が乗じた時に攻勢にでる。 こうして自軍の損害を少なくして勝利を全うする。 |
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戦上手は勝つように仕向けて自然と勝つ。 故に勝っても、その知謀も武勇も人の目にはつかず、賞賛されることはない。 自然と勝ったように見えるので目立たないのである。 戦の上手い者ほど戦う前に勝つべき事をなして、戦う前に負けている敵を相手にする。 故に善く戦う者は自軍を絶対負けない条件にし、敵の少しの隙すら見逃さない。 勝兵はまず勝ってから後に戦いをし、敗兵は戦ってから勝とうと求める。 |
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相手と自分の力量が鎰(いつ:重さの単位)をもって銖(しゅ:鎰の500分の1ぐらい)に対すると同じなれば必ず勝つだろう。 逆に銖をもって鎰に挑むような事をするなら必ず負けるだろう。 勝者になる者の戦い方は蓄えた水を一気に千尋の谷に落とすがごとく。 日々蓄えた力を最大限発揮するように。 之が軍形なり。 |
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多くの兵を少人数のように管理するにはいくつかの部隊に分ける事である。 多くの兵を一体とさせて動かすには指揮系統を確立する事である。 このように多くの兵を少人数のように素早く自由に動かせるように組織を編成するのが形である。 |
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全軍が敵と戦っても敗れないのは戦術があってこそであり、 石を卵に投げて割るかのように、簡単に敵に勝つには、虚実の戦略が必要である。 戦いは正攻法とみせかけて奇抜な考えをもって勝つ。 戦術は天地の如く終わりが無く、大河の流れのように尽きることはない。 終わって始まりるのは月日のようであり、死してまた生ずるは四季のようでもある。 戦術はこのように尽きる事がなく無限である。 |
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音色は五声にすぎないが、組み合わせれば数々の音色を奏でる。 (古代中国では音階の基本が宮・商・角・徴・羽の五つでした) 色彩は五色に過ぎないがこれも組み合わせれば数々の変化をもたらす。 (古代中国の思想では色の基本は自然から象った青・黄・赤・白・黒の五色だった) 味の五味にすぎないがこれも組み合わせれば様々な味になるではないか。 (辛い、酸っぱい、しょっぱい、甘い、苦い) これと同様、戦の勢いも「正」と「奇」にすぎないが、その変化は無限である。 その混じり合う変化はまるで輪のように繋がって終わりがない。 |
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激流が石を漂わすのが水の勢いである。 鷲のような鳥が一撃で獲物を砕くのは力を溜めてその一撃に力を集中させるからである。 善く戦う者もこのように同じで、弓に例えるならば、弦をいっぱいに張り、矢を放つかのように戦う。 戦いは入り乱れるものである。 だがその中にあっても決して乱れてはならない。 戦闘の中にあっては善く治めていても混乱し、 勇猛であっても臆病になり、 どんなに強くても弱く変わりうるのである。 治まるかは乱れるかは統制の問題であり、 勇猛になるか臆病になるかは勢いの問題であり、 それによって強くなるも弱くなるも軍の在り方次第である。 |
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善く戦う者は、全体の勢いに求めて個々の能力には求めない。 個々の力よりも全体の力を重視するのである。 勢いに乗れば坂を転がる石や丸太のように止めようがない勢いになる。 円石を千尋の山より転がすが如くが勢いである。 |
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敵より先に戦地に到着し待ち構えていれば楽な戦いができ、 敵より送れて戦地に到着して待ち構えている敵に戦いを挑めば苦労するであろう。 ※主導権を握ることが肝心と言う意味。 |
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善く戦う者は、敵を引き付けるようにし。自らが引き寄せられる事を避けるのである。 敵を引き寄せる為には、敵に有利だと思わせて誘い出す事である。 敵を遠ざけるには近づけば害になると思わせる事である。 もし敵が楽な状態ならば、策をもって奔命させて疲弊させ、 満腹ならば補給を絶って飢えさせ、敵が冷静ならば計をもって動揺させる。 敵が必ず通る所に先回りをし、思いがけない所から打って出る。 千里の道を進んでも疲弊しないのは無人の地を進むからである。 |
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攻めて必ず勝つ者は敵の守りが無いところを攻めるからであり、 必ず守りきる者は、敵が攻め難い所を守るからである。 故に善く攻める者は守る所が分からなくなり、善く守る者は攻める所が分からなくなる。 |
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敵には姿が見えず、声も聞こえないように事を行えば、全てが思惑通りに運ぶ事ができる。 故に、敵の命運や主導権を握る事が可能になる。 |
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進撃する時は敵の虚を衝けば防ぎきれない。 退却する時は速やかに退却すれば追撃されない。 我々が戦いを挑んだ時、敵がいかに堀を深く、土塁を高くして守り戦いを拒もうとも、手薄な要所を攻めればそれを救おうとする為、我々と戦わなくてはならなくなる。 我々が戦いを拒みたい時は、攻めるに値しないと見せかけて、その行くところへ目をそむけさせる事だ。 |
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敵の体制を固定させ、我々は臨機応変に対応すれば 味方の力は集中し、敵を分散させて戦う事ができるだろう。 例えば味方が1つに集中して敵が10に分散すれば その10の内の1つを集中した戦力で攻めればよい。 多数で少数を相手にするように戦えば攻略するのは簡単になるであろう。 |
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戦う場所が敵に悟られなければ敵は守るところが多くなるだろう。 守るところが多くなれば、我々が直接戦う所の戦力も少なくなる。 前に備えれば後ろが手薄になり、 後ろに備えれば前が手薄になる。 右に備えれば左が手薄になり、 左に備えれば右が手薄になる。 全てを備えようとすれば全てが手薄になる。 敵の意図するところに備え、敵を前にして自分達に油断がないよう備える事が大事だ。 |
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戦うべき場所も戦う時も知っていれば、千里もの遠征を行ったとしても戦うことができるだろう。 戦うべき場所も戦う時も知らなければ、 左は右を救う事もできず、右は左を救う事もできない。 前は後ろを救う事もできず、後ろは前を救う事ができない。 遠くは数十里、近くは数里においても同じ事だ。 |
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例え敵がどんなに多くいても、それが勝敗の要因になるとは限らない。 勝利とは自ら作りだす事ができるものである。 それには損得をよく知ることであり、 乱れる理由、纏る理由をよく知ることであり、 どうすれば勝ち、どのような事をしたら負けるのかよく考え、 何が足りていて何が不足しているか知る事である。 |
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勝いの極意は、形を作って決めつけない事である。 無形であるならば、いかに敵の間者が奥深く侵入していようとも疑うこともできず、どんな知恵者も策謀をはりめぐらせることもできない。 例え勝ったとしても、多くの人々はその法則までは知らない。 多くの人々は勝った理由を知っていても、どうして勝ったかまでの理屈を知らない。 故に戦いに勝ったとしても同じ方法を用いてはいけない。 敵の状況に応じて無限に変化するものである事を忘れてはならない。 |
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戦いは水のようにあるべきだ。 水は高い所を避けるかのように下へ流れる。 戦い方も同じで、強い所を避けて、弱い所を撃つのである。 水は地形によって流れを変化させる。 戦いも同じで状況や相手によって変化させて勝利に導くのである。 状況に応じて臨機応変に戦える者はまるで神のようだ。 故に※五行に常勝なく、四季は同じ様に巡り、日は短くなったり長くなったり、月は満ち欠ける。 このように戦いも自然の摂理と同じである。 (※五行:古代中国の思想で、自然を火、水、木、土、金(鉄等)の五つに分類した。水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ。という考え方。) |
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戦争は将が君主より命令を受けて、兵を集めて軍を編成し、戦場に赴く。 しかし難しいのはこの事よりも兵の戦い方(軍争)である。 軍争の難しいところは、遠回りしたほうが近い場合もあり、災いがあっても得する事もある。 例えば、敵より遅れて出発しながらも、わざと遠回りして敵を油断させ、安全な道を進んで敵より先に到着する。 之を「迂直の計」と言う。 この事を知るか知らないかで戦いを有利に運べもすれば危機に陥いる事にもなる。 全軍を挙げて戦っても勝利に導くとは限らない、目の前の勝利に焦って無理に推し進めれば、補給物資も遅れて追いつかなくなる。 例えば重い鎧や武器をまとって、道幅一杯に昼夜問わず走りぬけるような事をしてしまえば、強兵だけが先行しすぎ、疲れる者たちは遅れてしまう。 こういった状況で百里もの遠征先で争うとなれば、十の兵力があったとしても実際は一ぐらいにしかならない。 こうなればいかに三軍の将と言えど敵に捕らえられたり、討たれたりする事になる。 これが五十里ならば、よくて全兵力の半分しか到着できない。 その為に先に到着した将は倒されてしまう事になる。 これが三十里ならば、戦場に到着するのはよくて全兵力の三分の二である。 後続の補給隊が到着できない中で戦えば、武器ばかりか食料もない状況に陥り、それが原因で亡ぶ事となる。 |
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諸侯の動向、目的、利害関係が分からなければ、外交や謀もうまくいかないだろう。 山林や、険阻な道、河川などの地形が分からないものが安全に早く兵を進める事ができないだろう。 その土地に詳しい者を使わないものが、その土地で有利に運ぶ事ができないだろう。 物事は予め何事もよく調べて知っていなければ万事うまくいかないのである。 |
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戦いは事前によく策や作戦を練って敵をあざむていてから仕掛け、 勝算や有利になるなら動き、 敵を分断させ味方を団結させて始めて戦うものである。 |
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(※武田信玄の風林火山の旗印はこの孫子の一文から引用したと言われている。) そもそも戦いや兵の行動は、実行する時は風のように早く、しかしその姿は林のように静かに、侵掠する時は火のように激しく、動く時ではない場合は何が起きたとしても山のように雄大に慌てず、意図や存在は暗い影のように悟られる事がなく、動くと決めたら雷のように大地を震わすような勢いで進む事だ。 |
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国や城を奪い取ったならばその物資を共に戦った兵と分かち合い、 国が広がって利益が上がったなら、共に戦った兵と利益を分かち合う。 全ての行動は、計りに掛けるようにその効果を考え行うことだ。 このように迂直の計の意味を深く知っている者は勝つ。 これが敵と争う(軍争)方法である。 |
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いざ戦いとなれば、いかに大声で命令しても聞こえなくなる。 故に太鼓や鐘で合図する方法を作った。 いざ戦いとなれば、指示しても見えなくなる。 故に旗で合図する方法を作った。 太鼓や旗のような人の耳目にとどくような物を作ったのは兵達に命令した時に行動を一つにさせる為である。 兵達の行動を統制できる事によって 例え勇者であろうと独りで身勝手に進むことができず、 例え臆病者であろうと独りだけ逃げることができなくなる。 之が大軍を率いる方法である。 しかし別の使い方で用いる事もできる。 夜戦ではかがり火、松明を多く焚き、太鼓を打ち鳴らす、 昼戦では旗指物を多くする。 味方は多く見え敵の耳目を惑わす事ができる。 故に戦いは敵の士気を奪ったり、敵将の心を惑わす事も肝心だ。 |
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朝はやる気がみなぎって鋭く、昼は気がたるみ易く、日が暮れる頃は誰しも気持ちも疲れて帰りたいと思う。 故に善く戦う者は、敵の鋭気が鋭い時は戦いを避け、敵の気がたるんだり疲れた時を狙う。 之ができる者は人の気持ちの移り変わりを善く理解しているからである。 味方は治まってる状態で敵が乱れるのを待ち、 静かにして敵がみだりに動くのを待つ。 之ができるのは人の心をよく理解している者である。 味方は近い場所で待ち遠くから来る敵を出向かせ、 味方は楽な状態にして敵に苦労させ疲れさせる。 味方は食料をきちんと食べて敵の飢えを待つ。 之ができるのは戦いをよく知っている者である。 よく纏っている敵と戦う事をせず、正々堂々と自信を持って戦おうと挑む敵に無理に攻撃を仕掛けない。 之ができるのは臨機応変に戦う事を善く心得ている者である。 |
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用兵の法則は 高い所にいる敵に向かい無闇に攻めてはならない。 丘を背にした敵を無理に攻めてはならない。 わざと逃げる敵を深追いして追撃してはならない。 精鋭を相手にまともに戦ってはならない。 おとりの敵に飛びついてはいけない。 帰心にかられてる兵をおしとどめてはいけない。 敵を包囲したら必ず逃げ道も用意しておかなくてはいけない。 窮地に陥いった敵に迫ってはいけない。 味方が届かぬ絶地に長く留まってはいけない。 之を九変という。 道は通ってはいけない道がある。 敵はみだりに攻撃してはいけない敵もいる。 城も攻めてはいけない城がある。 争ってはいけない土地もある。 君主の命令でも受けない方が善い場合もある。 之を五利という。 この事を善く知る者が、善く戦いを理解している者である。 この事を心得ていない者は、いかに地理に詳しくても、地の利を生かして有利に戦う事はできず、またいかに勝利の五原則を心得ていても、この九変をよく理解していなければ目的を果たす事はできないであろう。 |
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知恵者は何事を考えるにも必ず利害を併せて考慮する。 利益となる事は何が利益になり何が害をなすかを考え。 害があるときには、何が災いとなり、どうすれば利益になるかを解く。 故に、諸侯を屈服させるにはその害を説き、諸侯を疲れさせるには、仕事を与え、諸侯を思い通りに走らせるには利益で誘導するのである。 |
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用兵とは、 敵が攻めて来ない事を期待する事を当てにするのではなく、 敵がいつ攻めて来られても大丈夫なように、準備を万端にする事を当てにするのである。 |
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将には五つ、危険に陥る性格や行動がある。 死を覚悟する(必死になりすぎる)将は殺されやすい。 生に執着しすぎる将は捕らわれやすい。 血気盛んな(短気)な将は侮られやすい。 清廉潔白すぎる(行いが常に正しくプライドが高い)将は侮辱されやすい。 部下や民を必要以上に溺愛する将は煩雑になりやすい。 この五つのどれかに当てはまる将は将として間違いである。 このような者が兵を率いる事自体が災いである。 戦いに敗れ将が命を失う時は必ずこの五つの要因に当てはまる。 この事はよく察して常に心得ておかなければならない。 |
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地形による兵の配置や行動に付いて述べよう。 険しい山地を進むには谷にそって進む。 敵に近づいたら視界の開けた高所に布陣する。 決して高い所にいる敵を登りながら戦うような事をしてはならない。 之が山地での兵の対処方法である。 河川を渡ったら必ず河川から離れる。 敵が河川を渡って来ても敵を水上で迎え撃つよりも、半ば渡らせて之を撃った方が得策である。 戦おうとする者は河川近くに布陣して敵と戦ってはならない。 敵よりも、有利に展開するには高い所に布陣する。 河川では決して上流に向かって進撃してはならない。 之が河川での兵の対処方法である。 沼や湿地帯は足場が悪く戦い難いので速やかに通り過ぎるべきである。 もし、どうしても戦わなければいけなくなったらなら、 深い水草の茂みを利用し林を背にして戦う。 之が沼や湿地帯での兵の対処方法である。 平地では、行動が自由に行える所を選び、 背後と横に広陵があるような所に布陣する。 戦い難い不利な地形を前に、守りやすい高い地形等を背後にして有利になるように布陣する。 之が平陵での兵の対処方法である。 この四つの方法を心得ていた太祖の黄帝は、白帝、黒帝、蒼帝、炎帝の四帝に勝って天下を治めたのである。 |
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兵を布陣する所は、高い見晴らしの良い場所を選び、低い場所を選ばないようにして、 日当りと風通しの良い所を選び、日当りの悪い湿った場所を選んではならない。 日当りと風通しの良い過し易い所を選べば、体力も気力も充実し、病気にも難いだろう。 之を必勝の方法という。 堤防や広陵のあるところでは、日当りの良い所へ布陣し、これを右背にすると有利である。 之を兵を利、地の助けという。 |
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上流で雨が降ったら水かさが増してくるので、川を渡ろうとする者は、まず川安全に渡れるまで静まるのを待ちなさい。 | |
絶壁の谷間、山間、 川が流れて窪地になっている所、 周囲が切り立った山間の窪地、 三方が険阻で道が一つしかないような牢獄のような場所、 草木が生い茂り、周囲もよく見えないような場所、 地形が低く落ち込んだ場所、裂け目があるような所、 地形の起伏が激しかったり地面が荒れているような場所。 このような所には決して近づいてはならない。 またこのような場所に敵を誘い込んで 敵の背後に来るようにし、自軍は迎え撃てば有利である。 |
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周囲に険阻な地形、沼、芦、窪地、森林、草木の生い茂るような、怪しい危険な場所があれば、必ず念入りに捜索しなければならない。 このような所こそ必ず敵が伏兵等を隠す所である。 |
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近づいても敵が静かなのは敵が有利な所にいて何か考えているからである。 敵が近寄らないようにして挑発して来るのは誘い出そうとしているからである。 敵が動かないのは何か有利な事があるからである。 木々や草木が動いているのは敵襲の前触れである。 罠をあえて見せるのは疑わせて進ませないようにしているからである。 鳥が急に飛び立つのはその下に兵が潜んでいるからである。 獣が驚き走り去るのは多くの伏兵が潜んでいるからである。 砂塵が1つに固まるように舞い上がるのは兵車が来るからである。 砂塵が広く舞い上がるのは歩兵が来るからである。 砂塵が散らばっているのは敵兵が薪等を集めているからである。 砂塵が移動しながら細かく舞い上がるのは敵が宿営の準備をしているからである。 敵の使者がへりくだった口調で話すのは、裏で進撃の準備をしているからである。 敵の使者が強い口調で話し、兵が戦う構えを見せるのは、退却しようとしているからである。 兵車などが出て来て兵の警護しているのは、布陣や陣立てを行い戦う準備をしているからである。 条件や理由が無いのに使者が和睦を請うのは、何か謀があるからである。 敵がしきりに奔走しつつ兵車が準備しているのは、決戦を挑もうとしているからである。 敵が理由も無く進んだり退いたりするのは誘い出そうとしているからである。 敵が武器の代わりに杖を付いているのは食料が不足して飢えているからである。 水を汲みに出ている者が真っ先に水を飲むのは、敵が水不足に陥っているからである。 進めば明らかに有利なのに進んで来ないのは敵兵が疲労しきっているからである。 敵陣に鳥が群がっているのはすでに敵が去ってしまっているからである。 夜になって敵兵の声が騒がしいのは恐怖心に煽られて不安になっているからである。 敵陣営の秩序が乱れているのは、将が無能で威令が行われていないからである。 敵の旌旗が乱れて動くのは、内部が崩壊している兆しである。 幹部が無闇に部下や兵を怒鳴り散しているのは兵が戦意を失ってるからである。 馬を殺して食料にしているのは、食料が尽きたからである。 炊事道具を使っておらず捨ててあり、兵が宿舎に戻らないのは緊迫した状況に陥っているからである。 幹部が執拗に部下に話かけたり、馴れ馴れしくするのは、部下や兵から信頼を失っているからである。 賞や褒美が意味もなく多くなるのは、幹部が行き詰まっているからである。 不条理な罰が多くなるのは、兵や部下が疲れて命令を聞かなくなり幹部が困っているからである。 部下や兵を怒鳴ったり乱暴に扱ったかと思えば、急に機嫌を取って見せる者は、人の上に立つ資格が無い者だからである。 敵の使者が丁重に挨拶をして講うのは、敵の兵が疲れていて休ませたいからである。 敵が勢いに任せ攻めて来ながら、あえて長い間戦おうとしないのは、何か理由があるからだ、之をよく調べて考えてみよ。 |
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戦いは兵が多いからよいというものではない。 ただ武力に任せ進むことをしてはいけない。 兵は常に力を合わせるように統率、指導し、敵の情勢をよく見極めて、敵の意図を打ち破るべし。 考慮もせずに、ただ敵を侮るようでは、簡単に敵に捕まるような戦い方を必ずするであろう。 |
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部下や兵が将に信頼を寄せていないうちに罰ばかり与えていると、信服しないで命令に逆らうようになる。 信服されていなければ使う事もできない。 部下や兵が将に信服しているにもかかわらず、問題が起きても厳罰すら公正に行えないような将は使うに値しない。 |
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まず法令を作って、よく教えて、守らない者には罰を与える。 之を必取という。 法令が平素より行われて公正に守られて、民をよく教育すれば、民は自然と信服するようになるだろう。 法令が平素から疎かになっていて、その上で民を教育しても、民の信服は得られないだろう。 平素から法令が公正に守られてこそ、民衆の支持を得る事ができるのだ。 |
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地形は「通、挂、支、隘、険、遠」の六つに分類することができる。 『通』とは、往来がし易く、敵も味方も行動しやすい地形を言う。 このような地形では高陽の良い場所に布陣し補給路を確保しておけば有利に戦える。 『挂』とは、敵も味方も進む事はできるが退き難い地形を言う。 敵の備えが整わないうちに攻めれば勝てるが、敵が万全の体制ならば、攻めても勝てず、更に退き難いので不利は免れない。 『支』とは、敵も味方も進軍し難い地形を言う。 敵の誘いに乗じて撃って出てはいけない。一度退いて敵を誘い出して戦うべきである。 『隘』とは狭い地形を言う。 味方が先に陣取っているならば、十分な備えをして敵が来るのを待て。 敵が先に陣取って十分な備えをして待ち構えてるならば、戦いを挑んではならない。 敵の備えが手薄なら速やかに攻め取る事だ。 『険』とは険しい地形を言う。 味方が先に到着したならば、高陽の良い場所に布陣し敵を待ち構えるのである。 敵が先に到着していたならば、退いて速やかに去る事にとどめ、敵の挑発に乗ってはならない。 『遠』とは遠くに赴くような場所を言う。 兵力が同等ならば、遠く赴いた方が不利である。 この六つは地形による用兵の方法である。 故に将の重責でもある。 この事を十分に考え、善く理解しなければならない。 |
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敗兵は六つの理由に分けられる。 この六つに当てはまるものは、自然の災害によって負けたのではなく将の過失によって負けたのである。 『走』とは、敵味方の戦力が等しいのにも限らず、一をもって十と戦うような事になり敗走する様を言う。 『弛』とは、味方の兵が精鋭にもかかわらず、それを率いる将が惰弱で這い蹲るように負ける様を言う。 『陥』とは、将は勇猛であっても率いる兵の統率が取れてない上に惰弱で、陥るように負ける様を言う。 『崩』とは部下や兵を無闇に怒り、誰の忠告も聞かず、敵に遭遇すればただ怒りに任せ戦いを挑み、有能な部下の進言すらも信頼しないで、自ら崩し負ける様を言う。 『乱』とは、将は惰弱で威厳も統率力もなく、方針も不明瞭で、部下や兵に不信感を抱かせ、適当に兵を布陣して、内部の乱れを作って負ける様を言う。 『北』とは、将が敵の情勢を計る事もしないで、少数で多勢を相手に戦い、弱い兵力で強敵と無理に戦い、戦いに赴くに当たって、精鋭も戦法も持ち要らずに敗北を招く様を言う。 この六者は敗北の道であり、このような戦いをする将を用いてはならない。 |
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敵の状態を考え勝利に導き、 地形をよく考慮するのは善い将の条件である。 この事をよく知って戦う者は必ず勝ち、知らないものは必ず負ける。 |
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必ず勝てるならば、君主が戦うなと言っても、戦って良い。 必ず負けると判断するならば、君主が戦えと言っても、戦わなくて良い。 戦功があっても名を求めず、敗戦しても責任を免れるような事はせず、 ただ一心に民の幸せを求める将は、国の宝である。 |
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将が兵や部下を愛する自分の赤子のように想うなら、 兵や部下は、例え険しい谷間でも一緒に赴いてくれるだろう、 将が兵や部下を愛する我が子のように想うなら、 兵や部下は将と生死を共にしようと想うであろう。 しかし、情を厚くして甘やかせ、愛しく想いすぎて罰する事をしなけば、乱れても治める事ができず、わがままな子供のようになるだろう。 こうなってしまっては、ものの役にすら立たない。 |
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我が軍の将が敵を破る戦力を知って用いても、敵も我が軍を打ち破る戦力がある事を知らなければ、勝てる可能性が半分になる。 敵が我が軍を破る戦力があるのを知っていても、我が軍が敵を打ち破れる戦力がある事を知らなければ、勝てる可能性が半分になる。 敵を打ち破る方法を知って、敵を打ち破れる戦力があるのを知っていても、地形を知らないで戦えば、勝てる可能性は半分になる。 故に兵を知る者は、動いても迷わず、戦っても危機に陥らない。 相手を知り、自分を知れば、勝つ事は難しいことではない。 更に、天を知り、地を知れば、完全勝利すら可能だ。 |
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用兵は、散地、軽地、争地、交地、衢地、重地、?地、囲地、死地の九つに分けられる。 之を九地と言う。 『散地』とは、自国領内で戦う土地を言う。 『軽地』とは、他国の領内に攻め入り深く侵入しない土地を言う。 『争地』とは、敵にとっても味方にとっても有利になる土地を言う。 『交地』とは、敵にとっても味方にとっても進軍し易い土地を言う。 『衢地』とは、諸侯の勢力がぶつかり合い、この場所を最初に押さえた者が諸国の衆望を集める土地を言う。 『重地』とは、敵国深く攻め入り、後方に城や国が多くある土地を言う。 『?地』とは、山林、険阻な地形、湿地帯など行軍が困難な土地を言う。 『囲地』とは、入る道が狭く、退くには迂回しなければならず、わずかな敵に味方の大軍が圧し止められる土地を言う。 『死地』とは、疾く戦わないと活路が見出せず、疾く戦う事が出来ないと全滅してしまうような土地を言う。 故に、 『散地』では、戦ってはならない。 『軽地』では、止まってはならない。 『争地』では、攻めてはならない。 『交地』では、道を絶たれてはならない。 『衢地』では、外交をもってせよ。 『重地』では、慎重に行動せよ。 『?地』では、速やかに通り抜けろ。 『囲地』では、謀をもって戦え。 『死地』では、全力で戦うだけである。 |
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古の名将は、敵軍を前にし 敵の前後の連絡を絶ち、敵の大小の部隊を分断させ、敵の将兵の間に不信感を抱かせ、将兵を分裂させ、敵の協力関係を絶たせた。 こうして有利になれば戦い、不利ならば戦わない。 |
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あえて問おう。 敵が軍備を整え来襲したらどう対処するか。 それには、まず敵が大事にしているものを奪うのだ。 そうすれば敵は乱れるであろう。 戦いの心得は迅速なるを基本とする。 敵の油断に乗じて、 人が考えもしないような方法で、 敵の備えが手薄な所を攻めるのである。 |
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敵国を攻めた時の道理として 敵軍の深い所まで進軍したならば、将兵を戦いに専念するようにする。 そうすれば敵は勝つことが難しくなるだろう。 敵地深くまで進軍したならば、 敵地の豊かな土地で食料を確保し、 兵をよく休ませ、士気を高めながら、力を養いつつ、兵を運行し、 謀をもって敵が対応できないようにする。 そして兵を逃げ場の無い戦場に投じれば、逃げることが出来ないと悟った兵は死ぬ気で敵と戦うであろう。 決死の覚悟で戦いに望めば、人は全力を尽くさない事がどうしてあるだろうか。 |
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兵は窮地に陥れば何者にも恐れなくなり、 逃げ道が無くなれば固く団結をする。 敵地が深くなれば、兵は戦うしか方法が無くなってしまい 目前の敵を倒す以外に活路がなくなり、必死に戦うであろう。 故に、兵を指導しなくても兵は自ら慎み戒めるようになり、 兵は自ら戦いの意義を求めるようになり、 誓約しなくても親しんで忠実になってくれるようになり、 法令や罰則を下さなくても自ら信義を重んじるようになる。 そして、占いや迷信のような事を禁止し、疑いごとを無くせば、 兵は死ぬまで戦ってくれるであろう。 我が兵が余計な財貨を持たないのは財貨が嫌いだからではない。 我が兵が死を恐れないのは、生きる事を嫌うからではない。 出陣の命令が下った日は、兵は涙で襟を濡らし、その家族は涙があごをつたわるまで流すのである。 このような者達を逃げ場の無い戦場に投ずるならば、古から伝わるような勇者と変らない働きをするだろう。 |
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善く兵を用いる者は、例えるなら率然のようである。 率然とは常山に住む蛇の事である。 その常山の蛇は、 首を撃とうとすれば尾で払いのけ、 尾を撃とうとすれば首を返し牙を向く。 胴を撃とうとすれば首尾を返し向かってくる。 あえて問う。 兵はこの常山の蛇のように動かす事はできるのだろうか。 それは可能である。 例えば、 呉の国の人々と越の国の人々は大変、仲が悪いが、 もし、この両国の人が、偶然同じ舟に乗り合わせ、 大風にあって舟が沈みそうになったならば、 同じ舟に乗り合わせた者同士、協力して助け合うだろう。 (※呉越同舟の語源はこの一文からと言われている) その姿は左右の手を使うかのようである。 故に、 いくら馬を並べて、いくら兵車を揃えて備えようとも、まだ十分とは言いがたい。 兵を皆、勇猛果敢にして一致団結させるのが、政の道なり。 兵が皆、強くなるも弱くなるも、全ては地の理、次第なり。 |
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軍の将は、冷静で思慮深く、厳正に物事を治めなければならない。 兵達に余計なものを見せ、余計な事を聞かせ、余計な事を知らせて、兵達に余計な事を考えさせるようにしてはいけない。 意図を変えても、謀を改めても、居る場所も、進む道も、事前に兵達に悟られるような事をしてはならない。 高い所に登らせて、梯子を取ってしまうかのように 敵地深く進行して、いざ戦いとなったならば、乗ってきた舟を焼き、釜を壊し、後が無い事を知らしめて、兵に覚悟を決めさせるのだ。 羊の群れが追いたてる様に、兵を駆り立てて進め、駆り立てて来させ、その行く所の知る余地を与えない。 そして全軍を集め、逃げ場の無い戦場に投じる。 これが将軍の仕事である。 軍の将は、九地の変、状況による有利不利、人の心情を、 知っていなければいけないのである。 |
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進軍する側の兵は、 敵地深く攻め入れば、戦う事に専念させなければならない。 これが浅ければ他の事に気を取られる。 国を去って国境を越えて戦うということは、 その一団は孤独で決して誰かが助けてくれるものではない。 これが絶地なり。 交通の便が善い地形を衢地という。 敵地に深く侵攻した地を重地という 敵地に浅く侵攻した地は軽地という。 後ろが堅固で前方が狭い地を囲地という。 逃げ場の無い地を死地という。 故に 『散地』では将兵の志を一つにしようとし 『軽地』では将兵の行動を一つにしようとし、 『争地』では後方で指揮をして部隊を急がせ、 『交地』では守備に勤め、 『衢地』では他国と結びつきを強くし、 『重地』では食料物資を確保することに努め、 『?地』では行軍を急がせ、 『囲地』では逃げ道を塞がせ、 『死地』では将兵に生きては帰れないという事を示す。 兵の心情は、 敵に囲まれれば抵抗し、 戦わなければならない状況に陥れば戦い、 危機に陥れば将の命令に従うようになるものだ。 |
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諸侯の意図が分からなければ外交すらできない。 山林、険阻、沮沢の地形を知らない者は軍を進める事ができない。 その土地に住む者の案内を使わない者が地形を有利に活用することはできない。 この三つのうちの1つすら知らない者は、 覇王の兵にはなれないのである。 |
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覇王の兵とは、例え大国を相手に討伐の兵を出しても、その国の兵は恐れて集まろうとしない。 覇王の威勢が他国に知れ渡っていれば、周囲の国々はその国に同盟を結ぼうともしない。 故に天下の為に外交で労することもなく、天下の権力を力で奪わなくても自然に手中に収めるのである。 己の意のままにふるまっても、敵はその威勢に従う。 故に城を簡単に落とし、諸国を制圧することができるのである。 |
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平素以上の恩賞を施し、平素以上に厳罰に望む事を将兵に告げるならば、 大軍を率いる事は一人を使うがごとく操れる。 このように扱うためには、実際の行動で示し、言葉や文章で示してはいけない。 また、兵には利益になるような事は告げても、兵に害になるような事を告げてはならない。 この兵を滅亡寸前の地に投じれば滅亡を免れ、死地に陥いっても生き延びることができる。 兵達は危機に陥ってこそ、決死の覚悟で戦うのである。 |
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戦いは、敵の意図を見抜くことである。 力を一つに合せ、一丸となって戦えば、千里もの先の敵将すら倒すのである。 これこそ巧みに事を成す者と言えよう。 開戦の日が決まったならば、関所を平らげ封鎖し、切符を裂き捨てて、使者も通してはならない。 廊廟の会議では軍議に励み、戦略を善く練って望む。 もし、敵に付け入る隙が見出せたならば、速やかにそこに付け入り、 敵の大事にしている要所を先に密かに狙い、 敵を装い敵情を調べ善く把握し、これをもって戦事を決する。 始めは処女を扱うかのように、慎重かつ入念に、 敵が気をゆるめて戸を開けたらなば 脱兎のような勢いでその開いた戸口より攻め入れば、 敵は防ぐことができない。 |
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火攻には五つの目的がある。 一、敵兵を焼く(火人) 二、物資を焼く(火積) 三、補給を絶つ(火輜) 四、貯蔵庫を焼く(火庫) 五、部隊を混乱させる(火隊) 火攻を実行するには必ず考慮しなければならない事がある。 道具や材料を揃えなくてはならない。 火を掛ける時を考慮しなくてはならない。 火を起こす日を考慮しなくてはならない。 時とは乾燥した時である。 日とは、月が箕、壁、翼、軫にかかるとき。 (箕、壁、翼、軫は星座の名前) この星座に月がかかるときはおそよ風が起こる日である。 |
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火攻は次の五つの状況に応じて使い分ける。 火の手が敵の内側より上がったならば速やかに外からも攻撃を仕掛ける。 火の手が上がっているのに敵が静かなら、攻めるのを待って、火攻めによる火力を見極めて、攻められるか攻められないかを判断する。 敵陣の外側より火攻を仕掛けられるなら、内側から仕掛けなくても、時をまって外から仕掛けよ。 火の手が風上から上ってるなら風下から攻めてはいけない。 昼の風は持続するが夜の風は止むときがあるので善く見極める事だ。 このように火攻には五つの変があるので、 軍はこの事を善く知った上で数で守る。 |
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火の助けを借りて攻撃しようとする者は用兵に明るい者である。 水の助けを借りて攻撃してくる者は強大である。 水は敵を絶つ事はできるが、敵陣を奪う事はできない。 |
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戦いに勝って領土を奪ったとしても、本来の目的を達成できてなければ意味がない。 これを『費留(無駄使い)』という。 名君はこの事を善く重んじ、良将はこれに励む。 利にならなければ動かず。 得るものが無ければ用いらない。 危なければ戦わない。 |
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君主は怒りに任せて軍を興してはいけない。 将は憤りをもって戦いに赴いてはいけない。 利益があれば動き、利益が無ければ動かない。 怒りはまた喜びに変るかもしれない。 憤りもまた喜びに変るかもしれない。 しかし滅亡した国はまた興すことはできない。 死者も二度と生き返ることはない。 故に名君はこの感情を善く慎み、 良将はこの感情を善く警む。 これが国を善く治めて、軍を率いる者の務めである。 |
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軍を興すこと十万人、国を出て遠征すること千里になれば、 民百姓の負担、将家の費用は一日に千金もの大金を必要とする。 その為に、国の内外では大騒動となり、道端で疲れ果て、七十万もの家の者が本来の生活の営みが出来なくなる。 こうして数年戦って守ったとしても、たった一日で勝敗は決するのである。 戦争を挑むにあたり、千金もの大金がかかる上、民の生活もままならなくなるのに、わずか百金を惜しんで敵の情報を調べない者は、人の心を知らない者と言えるだろう。 そんな者は人の将になる資格はない。 君主の補佐をするに値しない。 勝利を得る者の器量でもない。 故に名君、賢将が兵を動かせば敵に勝ち、成功して大衆に称えられる理由には、 先に敵の情報を知って、これを用いるからである。 先に敵の情報を知る方法は、 鬼神に祈って知るものではなく、 過去の事例や経験によって知るものでもなく、 占い等によって知るものでもない。 必ず人を使って敵の情報を調べて知るのである。 |
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間者を用いるのには 『郷間、内間、反間、死間、生間』の五つがある。 この五種類の間者を起用し、それを誰にも気づかれず悟られる事もなく、やりのける様は、神業に通じるものである。 まさに人君の宝である。 『郷間』とは、敵国の者を間者として用いる事である。 『内間』とは、敵国の役人等を間者として用いる事である。 『反間』とは、敵の間者を逆に用いる事である。 『死間』とは、死を覚悟で敵に偽りの情報をもたらす者である。 『生間』とは、敵国深く侵入し、生きて情報を持ち帰る者である。 |
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軍において、間者ほど連絡を親しく交わる事はない。 恩賞は間者より重いものはなく、 事は間者より秘密にするものはない。 まるで聖者のような知者でなければ間者を用いる事はできず、 仁義のある者でなければ、間者を使う事ができない。 微々たる所まで、気配りの行き届く者でなければ間者の情報を生かす事ができない。 間者とは実に小さな事まで必要とする。 間者を使う前に、その事が人の噂となって聞くような事があれば、 間者とその者を皆、葬り去らなければならない。 |
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我が軍が撃とうとする所には、 必ずまず、その守将、側近、取次役、門衛、雑使、衛兵の姓名を知っておく必要がある。 それには間者を使って必ずこれらを探らせておかなければならない。 敵の間者が潜伏しているならば、必ずこれを探し出し、 利をもって誘い味方に取り込む。 そしてこの者をを反間として用いて敵国に潜入させる。 この反間からの情報を元に、郷間や内間を作る。 そしてこの郷間や内間からの情報を元に、死間を送り込み、敵国に偽の情報を流す。 そして生間を送り込んで、敵国の情報を持ち帰るのである。 これら五間の情報は全て主に必ずもたらされるが、全ては反間によるものである。 故に反間は手厚くもてなすのである。 |
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昔、商(殷)の湯王が夏を滅ぼし、商王朝を建国した時には 夏には伊尹(後の湯王の補佐役)がいて湯王に情報をもたらした。 昔、周の武王が商を滅ぼし、周王朝を建国した時には 商には呂牙(※太公望呂尚のこと、武王の軍師になり天下をもたらした)がいて武王に情報をもたらした。 故に明君賢将は、このような優れた知恵者を間者とする事ができたので、 偉業を成し遂げたのである。 これこそ兵の要であり、軍は情報を頼りに動くのである。 |
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■あとがき 孫子は孫武と言って紀元前500年くらいの人物で、呉国の軍師でした。 この時期は非常に面白く傑物が登場した時期でもありまして、孔子や老子などの人物もほぼ一緒の時代でした。 他にも歴史上重要な人物も活躍したりと、その中にあって孫子も登場するわけです。 その孫子が残した兵書、やがては歴史上様々なところで登場して読み継がれ様々な人物に影響を与えていきます。 後に三国志に登場する呉の孫家はこの孫子の末裔と言われています。 曹操も孫子の編集、整理に携わったと言われています。 しかしその孫子の兵書、著作者が孫武なのかはハッキリしない混迷の時期がありました。・ 現在では孫子は孫武の書き残した物でほぼ決着がついているようです でもこれだけ長い歴史の中で様々な人に整理されたのですから、連想ゲームみたいに少しずつズレがあって、現在読める孫子は恐らく孫武が当時が書いたものとは違っているかもしれません。 いずれにしても世に孫子に勝る兵書は無しと言っても過言ではないでしょう。 現存する孫子は全十三篇からなっていますが、全八十二篇という話しも残っており、最近では竹簡も発見され解読、研究されてるとかされてないとか・・・ でも孫武が書き残したものではなく後の兵家が編集した外伝みたいなものらしく、読む価値が無いと言う話しも;;; 歴史は好きでこういった中国史や兵書もいくつか読んでますが やはり一番の兵書は孫子ですね。 と言っても他の兵書はほとんど頭すり抜けてます(笑) その孫子を今回紹介したわけですが・・・ 漢文って難しいです;;; 殆どは読み下し文を読みながらの解釈ですが;; 毎日悪戦苦闘しつつ、あちらこちら調べながら書いたので、至らない部分はお許し下さい。 サイトの構成上、漢文や読み下し文を一緒に入れようか迷ったのですが、孫子の言わんとする事だけを伝えたかったのであえて省きました。(長くなりますしw) それでもこの手の専門家ではないので言わんとする事が書けたのかどうかも分かりませんが;;; もうコレ書くのに丸々一週間以上、寝ても覚めても孫子と格闘しました; 途中で面倒になってやめちゃうかなーと考えたりしつつ、面白いので読み返しながら書いているうちにいつのまに書き終わってました。 メチャクチャかもしれないですが(笑) 孫子は読めば読むほど一字一句に深い意味が込められていたりします。 あれ?これはどう解釈すれば? なんて部分もあったり、読んでるうちにここは孫子が強く言いたい所なんじゃないかな?と感情が伝わってくる部分があったり、前に何回か読んでたつもりでも、こうやって書いてみると全然知らなかった部分があったり、孫子ってホント深いです。 多少わざと過大解釈してる部分もあったり、難しい漢字が出てきて変に解釈してたりで解釈もちょっと違うような部分も恐らくありますがその辺りもご容赦下さい。 一を聞いて十を知るのことわざがあるように、孫子もその一字一句に色々な意味が込められています。 どう読んで、どう受け取って、どう活かすかは読み手次第です。 孫子をもっと詳しく知りたい人や興味のある人は、本や専門のサイト様などで学んでみてください。 |
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